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2014年6月26日 (木)

プルワカルタ詣、2014年6月

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2ヶ月ぶりのPurwakarta再訪。アスれーるチックが、いよいよガラクタ公園になりつつあります;;

6月5日からのPurwakarta廃回の再開を受けて、先日Purwakartaへ足を延ばしてきました。お山に積まれてしまうと車番の確認が出来ませんので、確認がてら。もう詳細を書いていたらキリがないので、主な変化点だけをまとめ、軽めにいきます。

前回訪問時、構内にオンレール状態だったHolec、2000204F・98206Fはそのまま8両が第三の山が裾野を広げる形で、地面に直置きされていました。そしてその奥のステンレスも同じく、前回構内にオンレールだった87106F・87118F、また98208Fのうち98208・98211の2両もこの地区に積まれました。前回は雪化粧の如く真っ白だった第三の山ですが、いつのまにか銀色に。

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じわりじわりと大きくなるブヌンプルワカルタ。どこまで拡張するのでしょう??

で、今回のお目当て、オリジナルの姿を留める初期型Holec。

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KL3-94222F(94222,94221,94215,94216)

かれこれここ10年近くBalaiyasaに放置され続けた編成です。

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そして何故か先頭車が抱き合わせの99206,96212

99年製のものあたりからはやや顔が丸みを帯びています。

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そしてまたも先頭車の抱き合わせ、Holec94212,94210。これぞ巨大一つ目小僧!

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騙し騙し、10年程度は使われていたようですね。

94年製の角顔のHolecはMaggaraiの森でで朽ち果てている姿しか見たことがなく、最後にオンレールの状態が拝めて、まあよかったのかな。しかし何度見てもこのセンス・・・、なんでこうなっちゃったんだかねぇ。なお6月5日に施行されたHolec廃回はこの8両で全てです。

というわけで、いつものコースでヤード内をぐるっと一周。

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ああ、ついに看板出てしまいましたが、生活道路なんだから仕方ないよね・・・。

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廃回第一回目からまもなく1年・・・。

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最初期にやってきた編成は既に自然と一体化、芭蕉の句の如く。

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廃墟マニアさんたちもいよいよ活動を開始しそうな気配です。

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第一造成地は特に変わらず・・・・

ですが、実はオンレール車両が消えたため、以前は撮れなかったアングルから撮影が可能になりました。

そして廃機関庫前からずらっとオンレールしていた車両たちは何処へやらですが、76104が中途半端な位置にドーンと直置きされていました。

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後日、再移動?

というわけで、機関庫前はがらんどう。廃車回送されてしまったからには、Hitachiを是非ここに並べてもらいたいですね。この時期、緑の絨毯が最高です。

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新たな展示車両を待っています。

そして残りの車両はというとこちら。最大規模の第二造成地。まだまだ拡張しています。前回の画像と見比べていただければ一目瞭然。山肌がこんどは銀から白になっていますからね。つまりこれらがこの前まで長らく機関庫前でオンレールしていた車両です。

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水鏡もいい感じ、ですが足元を取られないようご注意下さい。

次いで、機関庫前の第三造成地。前述の通り、前回構内留置だったステンレス編成が積み上げられています。

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そういえばドアが閉まっているとキリッとするなあ、と違和感に気づき始めましたね

そうなんです、アスれーるチックで遊ぶ子どもたちを締め出すために、貫通路を含め、すべての入り口が封鎖・・・。まあいつ崩れるかわかりませんから、常識的な判断とは思いますが、登頂希望の方は第一造成地の裏手から行くしかなさそうですね。

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はい、これにて一周です。

お山が増えれば台車も増える。いよいよターンテーブルは溢れ帰り、台車バンジール。

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ホント、これどうする気なんだか・・・

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1986年日立製・・・。Tokyo Japanの文字が物悲しいですね。

当然のことですが、じっくり観察すれば至るところにMade in Japanの銘板が散見され、何度来てもやるせない気持ちになります。まあこれがODAの現状。Rheostatic然り、Holec然り。20年先のインドネシアの経済発展を見据えなかったコンサルの怠慢。今私たちに出来るのはこれを反面教師として、二度と同じ失敗を繰り返さないことに尽きます。しかし現状を見る限り、隆盛を極めてる中古車両群でさえ、このまま放っておけば20年後同じ道を歩むのは明らか。しかし未だに発展途上国だからというだけで色眼鏡で見る方々が世の中ごまんといらっしゃいます。東南アジアは日本の生命線。それを理解していないのはホント鉄道業界くらいですよ、全く。21世紀版のあじあ号を走らせてやろうというくらいの気概が今こそ必要です。まずはJREがKCJの経営権を掌握するところから。儲かりまっせ。

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コメント

コスト抑えるためか非冷房のままにしたのが失敗だった感じがします。
熱帯地方で冷房の需要が高いことを考えたら、将来的に経済発展すれば冷房が必需品になることはわかってたのでは。
ただこの劣悪な使用状態と管理状態で今まで運用できただけ良かった方なのかもしれません。劣悪な環境に耐えられず10年程度で使い物にならなくなった車両もあるようですが・・・案外抵抗制御の旧型車両の方が現地の環境下では故障しにくいようですね。

投稿: 福島潮 | 2014年6月28日 (土) 20時23分

レポお疲れ様です。
ここまでの姿を見ると、あの時に行って風情を感じていた頃が懐かしいですね。
あれだけ線路があるのですから各車種1本ずつでも良いので
編成で置いておいて欲しかったですねぇ。

それにしても、あの綺麗に化粧直ししたターンテーブルは一体なんだったのかと・・・・

冷改して、自動ドアを直したり設置することを考えれば
205系で置き換えた方が確実で安上がりでしょうからエコノミー各系列は立派に大役を果たしたかと思っております。

それにしても、あんなに冷房車やら長編成化を行っていますが変電所も増強しているのでしょうか?

投稿: 茶 | 2014年6月28日 (土) 22時52分

<福島潮様

廃車されたRheostastic系列と譲渡車両群の車齢はほとんど変わらないか、むしろRheoststicの方が新しいくらいですから、もし冷房搭載の準備がなされていたら、もっと別の道が残されていたのでは?と思うとやはり残念でなりません。特にステンレス車は。

しかし何も面倒を見ずにここまで動いたとうのは、日本製車両の為せる業でしょうね。

投稿: パクアン急行 | 2014年6月29日 (日) 02時16分

<茶様

そうですね、本当にあの頃が懐かしいです。機関庫前にオンレールしているのが一番おいしかったですね。今後もどんなどんでん返しがあるかもしれず、要チェックです。

まあ仰るとおり、205がこれだけ手に入った今やRheostaticを残す意味も無いわけですが、せっかく自動ドアを復活させたり、更新した車両があったにも関わらず、1年も活躍せずに廃車というのは、やはり残念でなりません・・・。

変電所は小規模ながら地味に増設されています。東急車の加速時の電圧降下も最近見かけなくなりましたし、徐々に設備も改良されているようです。

投稿: パクアン急行 | 2014年6月29日 (日) 02時20分

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