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2013年7月19日 (金)

K3-76~84系 8両、Purwakartaへ廃車回送される(7月17日)

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Purwakartaに向けて、永遠の旅立ちのときを待つ

7月17日深夜から翌未明にかけて、Rheostaticの愛称で親しまれたEkonomi用日本製自社発注車K3‐76~8*系列8両が解体のため、Purwakartaへ廃車回送されました。既にEkonomiはBekasi線に1運用、Bogor線に5運用のみの存在であり、かつBekasi運用は専らHitaci或いはRheostatic改、DjokoLelono1の独壇場であることから、通常編成の運用は実質5本までに減少しておりました。

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Manggarai工場から牽き出されてきたRheostatic 8両

そのため、運用数に対して編成数はかなり過剰な状態であり、Manggarai工場内には相当数の余剰車が眠っているものと思われておりましたが、ついに離脱する編成が発生してしまいました。これまで同形式で解体となった車両は事故廃車のみと思われ、このような編成単位での廃車は初と思われます。

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編成と編成の間には緩急車が入りました

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最後尾にも緩急車を連結

今回廃車されたのは以下の通り。

K3-83124,K3-76103,K3-83113,K3-78118+(KMP3 0 09 01)+K3-84112,K3-83101,K3-78103,K3-83114+(KMP3 0 07 02)
※()内は緩急車

前者は2010年6月28日、後者が2010年8月30日が最終出場日であり、両者共にここ1年近くは運用に入っておりませんでした。なお緩急車で最後尾に立ったKMP3 0 07 02には電源が入れられており、また全ての車両はジャンパ管でつながれておりました。

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牽引機が連結され、運転台にほんのり灯りがともります

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するとK3-83124Fは両側とも運転台機器が撤去されていました

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扇風機やつり革など各パーツは全て外されていましたが、一部車両は座席も撤去されております

運命のいたずらか、折しもこの37年前の7月17日はRheostaticシリーズ第一陣K3‐76系20両の入籍日。今回の廃車分にも1両ではありますが含まれていたK3-76103号車にはしっかりとMD7/17/1976の文字が刻まれていました。

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8両中1両だけ入っていた最古参形式のK3‐76

76年の鉄道網といったら、当然中央線は地平時代。ボゴール線も大部分が単線、きっと沿線には住宅もまばらで田んぼが広がっていたことでしょう。他の各線なんて非電化(Bekasi線は電化されてましたっけ?)の時代です。しかし客車主体で(オランダ製等の電車も一部区間では運転されていたようですが)、運転本数もまばらだった当時、日本製の四角い電車は斬新そのものであり、曲がりなりにも運転本数も増え、以来庶民の間でジャボタベック電車(KRL JABOTABEK)の愛称で親しまれてゆくことになったわけです。当時の文献を見ると、おそらく由来は日本人が名づけマスタープランにあるものと思われますが、しっかりと車両側面にKRL JABOTABEKのステッカーが見えます。以後伸び続ける利用客に対応するため、マイナーチェンジを加えながらも、1987年まで120両が製造されたRheostatic系列は、一時期ボンバルディア製のHolecへ主役の場が移りそうになりながらも、安定した走りを見せ続け、信頼の日本車という確固たる地位を築きあげ、今日の中古車両譲渡という流れに至っているわけです。まさに現在のJABODETABEKの礎を確立したといっても過言ではない車両なのです。

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とは言っても今回の8両は日々の激戦でかなり床板が傷んでおり、リニューアルは見送られ、そのまま廃車第一陣になったのではないかとも思われます

まだまだ現役続投してもらいところも山々ではありますが、まずは急激な経済発展とそれに伴う諸々の暴動という激動の時代を走りぬいた同車に、お疲れ様でしたとねぎらってやりたいところであります。朝ラッシュ時は最短2~3分毎、しかも日本からやってきた同世代のベテランが跋扈するなどという時代がくるなんて、Rheostatic自体が一番驚いていることでしょうねぇ。

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別れを告げるかのように、偶然BukitDuri電車区に貸し出されていた103系が最終電車として到着

そして発展途上国に対して蔓延する使い捨て思想という偏見をも晴らしたという点でもこの車両が残した功績として非常に大きなところ占めるのではないでしょうか。確かにあと3年で40年を迎えられたわけですが、これだけ走ればもう悔いはないでしょう。日本電車と同レベルの車両寿命を異国で、ましてや東南アジアで遂げるというのは、傍から見ても、やはり凄い車両なのだと思います。当時のメードインジャパンの技術、そしてインドネシアのメンテナンス力の成せた技と言えるでしょう。それに比べて今の日本の電車といったら・・・、あれじゃあ世界で勝てませんよねぇ。温故知新、Rheostaticから見習うべき点もきっとあるはずです。

さて、このまま行けば、今年度内にもEkonomi車両は全運用を失っていきそうな勢いですが、現場スタッフによると、やはり噂にもあった冷房化を一部車両には実施する模様(但し公式見解ではありません)。おそらくK3‐86系以降のステンレス車と、DjokoLelono1などの一部のリニューアル車に限ってのことにはなるのでしょうが、Rheostaticシリーズが今後も現役で走ると言うのは嬉しい限りです。しかし車齢の高い非リニューアル車を中心として今後も廃車は続くのでしょうから、記録はお早めに。まあ1両程度はアンバラワになるのか、タマンニミになるのかはわかりませんが、保存するとかいう話もありますので、楽しみではあります。(登場時の前面3枚窓&オレンジバーミリオンの復元を熱望!!)

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最後は通い慣れたManggarai7番線に入れ替えられ、最後の旅路へと出発

発車間際、一度は止んでいた雨がポツリポツリと降り出して、涙雨さながらでした。

さようなら、Rheostatic!

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